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船越英一郎さんの主演ドラマ『テイオーの長い休日』第2話は非常に論理的な内容でした。テレビ業界の裏側を明かしながら、業界の抱える問題を浮き彫りにするストーリーは興味深いです。単純に見えて理にかなっている脚本を細かく振り返ります。
放送日・あらすじ
放送日
2023年6月10日(土)23:40~フジテレビ系列で放送
あらすじ
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相関図 | テイオーの長い休日 | 東海テレビ (tokai-tv.com)
感想
このドラマのウソ
このドラマの主人公・熱護(船越英一郎)は二時間ドラマの帝王という設定ですが、どちらかというと見た目は銀幕のスターなんです。
二時間ドラマの帝王という愛称には若干の揶揄というかイジリが含まれています。そもそもそんな肩書に権威がありませんから。
テレビには出演しない銀幕のスターと言われるような人がいた時代はとっくの昔に終わっているので、銀幕のスターを二時間ドラマの帝王に置き換えているんです。
だから頭の中で熱護は二時間ドラマの帝王と銀幕のスターのハイブリッドだと思った方がすんなり入ってきますよ。
『パパはニュースキャスター』的な時代感もありますし。
脚本家の苦悩
今回の題材はドラマ制作の裏側でした。
ドラマ好きとしてはこういう裏側を垣間見える作品って心惹かれます。
最近では『書けないッ』っていう作品もありましたね。
ドタキャンした大物俳優の代わりとして熱護のもとに舞い込んだドラマの脚本がブレブレで破綻しているところからストーリーは始まります。
とにかく予算がないせいで、人件費のかかりそうなシーンを極力削りタイトなスケジュールで撮影するため、そのしわ寄せが脚本に来ているんですね。
夜のシーンを昼にするとか、実景だけにするとか、セリフで説明して終わるとか、どれも実際にある予算削減テクニックなんでしょう。
このドラマ自体も当然脚本家さんが書いていらっしゃるので、過去に体験した、あるいは現在も直面している実際の体験談が反映されているのでしょう。
映画やドラマを観ていると「プロが集まってなんでこんなことになるのだろう?」と思うことがたまにあります。
それも今回紹介されたようなメカニズムのせいかもしれませんね。
本打ちを成功させる 脚本家と プロデューサーの関係 | シナリオ・脚本、小説も!プロの技術が学べる学校|シナリオ・センター (scenario.co.jp)
欲を言えばこのドラマ自体もそういうテクニックを使っているんだという種明かし的なギャグがあればウィットに富んでいてもっと面白かったかも。
『ファイトクラブ』みたいに。
他にもセッシュという業界用語が紹介されていました。
『戦場にかける橋』が有名ですね。
ジャック小笠原
さて、前回に引き続き熱護は過去に演じた役になりきり、役作りを通して得た知識をもとに問題を解決していきます。
脚本家の体調不良をチャチャっと解決した後は脚本を患者に見立てその診断と治療に乗り出します。
ばかばかしい話ですし、医者である必要は全くないんですけど非常によくできていました。
まず30稿にも及ぶ書き直した台本を時系列順に並べ、どのタイミングで何を変更しているのかを明らかにしています。
熱護がすべてを読み直したという真摯な姿勢もうかがえますし、変更のすべてを問題視するのではなく、致命的なミス(熱護的に言えば切除してはいけなかった部分)を指摘するんですね。
論理的で納得感がありました。
熱護の解決策
ここまででも十分面白いのですが、プロデューサーが「じゃあ予算はどうするんだ」と言い出すんです。
この説明がないとただの理想論で終わってしまいますので、ここまで踏み込んだのは良かったと思います。
そしてこの展開にも伏線が仕込まれていて、初稿では30代の女性だった役がいつの間にか高齢男性に変更され、そのギャラの高い役者がドタキャンして熱護に役が回ってきていたんです。
つまり最初から熱護は必要なかったことが時系列をたどることで明らかになるんです。
そしてキャリアを積めば積むほどギャラが高くなる事情も途中で説明されていました。
非常に丁寧かつ論理的な脚本です。
そういうことを抜きにしても単純に熱護自身が摘出すべき腫瘍だったというオチは面白いです。
「お前かい!」って思わずツッコミたくなります。
まぁ業界の構造が変わったわけではないので根本的な解決策ではないですけどね。
分岐点
今回描かれたのは人生の分岐点でした。
実績を積むために自分の意志を曲げるか、自分の意志を貫いて影を歩むか、の二択です。
人気役者の伊集院といまだ付き人の萩原もその構図に当てはまります。
伊集院のやっている役が実にくだらないのも良いですね。彼は近い将来後悔するのでしょう。
最後に熱護自身が過去に実績欲しさに似たような役ばかり演じてしまい、イメージを払拭するのに苦労したという経験が語られました。
脚本の意図とは違うのかもしれませんが、私には熱護はいまだにそのイメージから脱却しきれていないように見えます。
「いつかえらくなったら」と思い続けて二時間ドラマの帝王になってしまった過去の自分への後悔ってことなんじゃないですかね。
そう考えると、彼の役作りへの異常なこだわりはコンプレックスへの裏返しのようにも思えてきます。
本当言うと、どっちの道を選んでも、どちらが正解というわけでもない気はします。
いずれにしても制作者としての矜持を持つことの大切さを訴える熱い内容でした。
まとめ
正直言って初回が面白かったのはまぐれだと思っていましたが、どうやら本当に面白いドラマなのかもしれません。