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最高の教師【第7話感想】大人の責任

 

 

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松岡茉優さん、芦田愛菜さん出演ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』第7話は鵜久森(芦田愛菜)の死を受けて、事実に向き合う覚悟を説いていましたが、本作の抱えた矛盾が噴出するような内容で、ちょっと受け入れがたい物でした。

放送日・あらすじ

放送日

2023年9月2日(土)22:00~ 日本テレビ系列で放送

あらすじ

ストーリー#07「『向き合う』ことを恐れる貴方へ」(2023年9月2日放送)|最高の教師 1年後、私は生徒に■された|日本テレビ (ntv.co.jp)

配信状況はこちらや公式サイトでご確認ください↓
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キャスト

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相関図・座席表|最高の教師 1年後、私は生徒に■された|日本テレビ (ntv.co.jp)

 

感想

このドラマは大きな矛盾を抱えています。
2周目の人生を描きながらも一度きりの人生の尊さをメッセージとして訴えているんです。
その矛盾のようなものが今回露見したような気がします。
順番に振り返りたいと思います。

揺らぎ

先週は24時間テレビが放送された関係でお休みでした。
2週間ぶりで忘れかけていた方も多いと思いますが、前回鵜久森(芦田愛菜)が転落死したところで終わっています。
今回はそれを受けてのストーリーです。

まず最初に主人公である九条(松岡茉優)の憔悴が描かれます。
彼女がショックを受けるのには二つ理由があります。

一つは鵜久森を救えなかった無力感と遺族に対する申し訳なさです。
一回目の鵜久森の死では葬儀会場の前まで足を運んだものの引き返していたようですね。
鵜久森は遺族に責められることを予期していたのに美雪(吉田羊)から意外にも「ありがとう」という言葉をかけられます。
鵜久森の死という現実は変えられなかったが、全く同じではないことにも気づきます。
鵜久森は確かに力強く生きていたことを再確認したんですね。

もう一つは九条自身の死も運命として避けられないのではないかという疑念です。
この疑念に夫・蓮(松下洸平)はそうとは限らないと励ましました。

食べるという行為は生きるためにする行為であって、彼女が前向きになったことを意味していますね。
この二つの苦悩を乗り越え、彼女は再び運命を変えるべく鵜久森の死に向き合う決意を固めました。

この冒頭の15分は九条が揺らぎ、決意を固めるまでを描いています。
そして第7話は、各キャラクターが揺らいでから再び決意を固めるまでの過程を順番に描いています。

ここまでは良かった。しかしここから変な方向へと進んでいきます。

クラス会議

前回の映像から素直に考えると、鵜久森は誰かに殺されたのでしょう。
そうすると、彼らの話し合いが少しおかしな方向に向かっていくんです。

『ソロモンの偽証』っていう映画は生徒の死の真相を解明するために学生たちが模擬法廷を開くというお話ですが、本作にもそんな雰囲気がありました。
もしかすると、「大人の責任」を持ち出したあたりは『ソロモンの偽証』との差別化を図っているのかもしれません。

ただ、第1話の展開の有無が両作の間に大きな違いを生んでいるのに、そのことをぼやかしている感じがするんです。

 

もし、いじめを苦に自殺したのであれば、いじめを行った当事者やそれを見て見ぬ振りしたクラスメイトに責任があるというのは分かります。

しかし、このいじめについては第1話で一応解決しています。
だから話し合いの中でも「二度傷つけることは許されない」といった風に、いじめをした事実自体はサブ的に周辺事情の一つとして扱われているんですよね。

九条は鵜久森の死を事故でも自殺でもないと考えています。
つまり、他殺だと思っているわけです。

でも、いじめをしていた生徒たちが「あいつは誰かに殺されたのであって、私たちが直接の原因ではない」と主張することは責任逃れの典型みたいな話になってしまいます。

このねじれ、違和感が最も強かったのが話し合われた内容です。

中園胡桃 (寺本莉緒)、遠山泰次郎(岩瀬洋志)、蓬田健斗(夏生大湖)ら大学から推薦を貰っている生徒たちを中心になされた「犯人かもしれないと疑われることで人生を棒に振るのが怖い」というのが主な議題でした。

それって向き合っている事になるんですかね?
「皆さんの未来も重要」って言えるのはたまたま鵜久森が自殺をしなかったからでは?
仮に他殺だとしてもそれは「とどめを刺したのは誰か?」程度の差しかないのでは?

人の感情なんて矛盾を多く含んでいるもので、一度乗り越えたはずの悩みに再び囚われてしまうなんてことは珍しくありません。
心の内とは裏腹な言葉を言ってしまうことだってあるでしょう。
「憶測で語るべきではない」と言っている九条が自殺の可能性を真っ先に排除していることは実はおかしいです。

一回目の人生では鵜久森はいじめを苦に自殺しているわけで、そのことに向き合わなかったのは責められるべきですが、二回目の人生では死因が自殺ではないので今更向き合っても等価にはならないんですよね。
向き合うべき事実が変質しているんです。

大人の責任

今回特徴的だったのが、これまで特に意味のある形で登場してこなかった教職員の苦悩が描かれたことです。
このドラマのタイトルは『最高の教師』であって、事なかれ主義の大人たちへのメッセージも含まれていますからこの展開自体は必要だと思います。

しかし、この大人たちの話も「学校が鵜久森の自殺を事故として処理しようとしている」というのなら分かります。
でも彼らが主張しているのは「自殺でも事故でもなく他殺だ」ってことなんで、ピントがずれたことしか言ってません。

もしあんな会見を開けば間違いなく「生徒の自殺に向き合わず、証拠もなく他殺の可能性を匂わせている」とバッシングされるでしょう。
いじめの事実も発表していません。

「責任を背負うのは大人です」って言ってますけど、鵜久森の死に向き合うための環境を整えてやることと、いじめの件を有耶無耶にすることが同時に行われている気がします

おわりに

複雑な設定の矛盾を勢いと雰囲気で誤魔化しています。
「自殺を選ぶべきではない」という思いが「自殺のはずがない」っていう主張にすり替わっていく感じが映画『キサラギ』に似ています。
自殺だろうが他殺だろうが死んだ人は帰ってこないという大前提が抜け落ちている気がします。
まず最初に生徒がするべきだったのは死を悼むことだと思います。

そして本当に生徒たちに問うべきだったのは「鵜久森が殺されたからといって、君たちの罪が消えたわけではない。むしろ償う機会すら失ってしまった。」ってことなんじゃないのかな?

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