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大奥第7話~綱吉編がラストを迎えます。

 

 

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綱吉が父親の呪縛から解き放たれるまでの重いお話でしたね。

 

放送日・あらすじ

2023年2月21日(火)22:00~NHKで放送

www.nhk.jp

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大奥 - NHK

 

 

感想

今回は綱吉(仲里依紗)の見た悪夢から始まりました。

「幼少期から学問の能力を評価されることはなく、器量ばかりを求められ、幼馴染の柳沢吉保(倉科カナ)すら自分の欲得のために動いている。

唯一心許したお伝の方、そして彼との子の松姫はいなくなってしまった。」

天下人であるが故の重圧と孤独をあらわした夢でしたね。

既に白髪が混じるようになり、生理も来なくなっているのに父の願いをかなえるため無駄な努力をしなければならない状況に陥りました。

世継ぎを産むことでしか評価されないのに、その世継ぎを産むことはおそらく叶わないわけですから、日々自身の存在価値のなさを突き付けられ続けることになります。

想像しただけでもかなりつらい状況です。

赤穂浪士の討ち入り

元禄15年12月14日赤穂浪士が吉良邸に討ち入りました。

こういう現実の事件を作品の世界観に上手く落とし込むのがこの作品の魅力です。

浅野家旧臣は全員男子、対する吉良上野介は老婆でした。

本来なら言語道断の非道な行いであるはずなのに、男女が逆転した社会では「打ち首にするのはもったいない」ってことになるんですね。

さらに生類憐みの令まで絡んできて、こんなのよく思いつくなぁって感心してしまいます。

吉宗との出会い

前回吉宗(冨永愛)は没日記を読みながら「綱吉公には一回だけお会いしたことがある」って言ってました。そのシーンですね。

徳川光貞は家康の十男で初代紀州藩主の頼宜の娘です。史実でも吉宗は綱吉に御目見したことがあるようです。

吉宗の「私は美しい男に興味がない、ということは美しい女に興味がない男もいるはずだ」っていう指摘は子供らしい素朴な発想であるとともに、吉宗の聡明さを表しています。

そして綱吉を長年苦しめている呪縛を解く手掛かりにもなっているんですよね。

綱吉が笑っていたのはあまりにも簡単な解決策があったことへの自嘲的な笑いなのか、次世代の頼もしさや新しい価値観への期待なのか、どちらかは分かりません。

右衛門佐との対話

今回も右衛門佐(山本耕史)との学問を交えた対話がありました。

右衛門佐が講義していたのは『荘子』でした。

「琭琭(ろくろく)として玉のごとく、珞珞(らくらく)として石のごときを欲せず」とは老子の言葉です。

なんでも優劣をつけるのは良くないって意味でしょうかね?

あまり不自然に紀州を推すと争いが生まれるという忠告でしょうか?

こういうインテリな意見の後に「どうせ桂昌院は耄碌しているのでどっちがどっちだか分かりっこない」という現実的な意見を添えるのが右衛門佐らしいです。

右衛門佐は「父親が欲得で綱吉を利用しているのに自分に対する慈しみだとすり替えている」という厳しい指摘をします。

これは現代でもDVとかの構造でありそうな話です。

これに対して綱吉は「巧言令色鮮なき仁」という孔子の言葉を用いて、「お前も同じじゃないか」と指摘し次のシーンへとつながります。

暗殺未遂

このシーンが素晴らしいなと個人的には思いました。

なぜなら、これまで綱吉を苦しめていたすべてが鮮やかに逆転するんですね。

「皆が欲得で近づくだけで誰からも愛されず必要とされていない」という状況から「目の前に欲得なしに自分に恋をした人がいる」という状況へ、「子を産めないから存在価値がない」から「子を産めないからこそ、子作りという目的なしに純粋に愛し合うことができる」へ、ポジティブに変わっていきます。

打掛を脱ぎ捨てた綱吉のすがすがしい表情は印象的です。

 

ただ、この『大奥』という作品は絶対にハッピーエンドで終わらないんですよね。

まとめ

多少展開が早いところがあって、特に柳沢吉保の人物像がほとんど伝わってこないので最期は唐突感がありました。

綱吉編は時間の経過が重要な要素ですからそういうところは若干弱いかも。

でも、現代に通じる女性の悩みを史実を大胆に織り交ぜながら表現した綱吉編は『大奥』の中でも一番出来がいい気がします。