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海のはじまり(フジテレビ・月曜9時・目黒蓮/有村架純)第3話感想

 

 

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目黒蓮さん・有村架純さん出演ドラマ『海のはじまり』第3話が放送されました。類似したテーマを扱った過去作とは異なり、理想の家族像をゴールとして描くのではなく、そばにいる関係から徐々に生まれるつながりを描こうとしている作品なのかもしれません。

放送日・あらすじ

放送枠

フジテレビ 月曜日 21:00~

放送日

2024年7月15日

公式サイト

海のはじまり - フジテレビ

基本情報

原作

ありません

脚本

⽣⽅美久

キャスト

月岡夏  目黒 蓮
百瀬弥生    有村架純
南雲海     泉谷星奈
月岡大和    木戸大聖
南雲水季    古川琴音
津野晴明    池松壮亮
南雲朱音    大竹しのぶ

相関図はコチラ↓
https://www.fujitv.co.jp/uminohajimari/chart/

感想

疎外感

第3話は疎外感が色濃く描かれた回でした。
それだけに、特に今回は弥生に感情移入して見ていた方は多いんじゃないかと思います。
このドラマは「一人の男が突然現れた実の子との空白を埋める」というだけではなく、より広く家族になることを描いている作品なのでしょう。

前回中絶した経験があることが明らかになった百瀬弥生(有村架純)ですが、彼女は自分の中にある喪失感を埋めるかのように、海(泉谷星奈)の母親として振舞おうとします。
傍目には子供の扱いがうまく、まるで“本物の母親”のように見えましたね。
彼女自身も母親としての振る舞いには自信があり、母親になることに意欲もあるようです。
しかし、今回は何度も現実を突きつけられます。

まず一つ目が、図書館での海の反応です。
母子手帳という血のつながりを象徴するものですからね。
「母親の代わり」になることが容易ではないことを思い知らされます。
海と夏の間には水季という共通項がありますが、彼女はあったこともありません。
彼女の思い描く家族像を遂行しようとしている感じ、この理想が彼女を苦しめています。

もう一つが朱音の辛らつな言葉です。
母親像を演じているかのような弥生の言動にいら立つ朱音は「楽しかった」という弥生の言葉に「子供産んだことないでしょ」と強く当たります。
実はそのあとの「産みたくて産んだ」という言葉のほうが弥生にとっては刺さるものだったと思います。
これは視聴者にしかわからないことですけどね。

横取りされたような感覚、今に至る長い年月を知らない人にこの瞬間の楽しさだけを切り取って語られることにいら立ちを感じる朱音の気持ちもわからなくはないですね。

その前に晴明(池松壮亮)が、気持ちを整理しきれていなくて悪態をついてしまってることを詫びたシーンがあって、朱音も頭の中や感情を整理できていないために必要以上に攻撃的になっていることが視聴者にも分かるようになっています。
彼女が不妊治療の末に子供を産んだことも視聴者には知らされていて、朱音を単なる悪者にしないような配慮を感じました。

最後に実は夏の言葉に彼女は疎外感を感じています。
気丈にふるまう海を見て、「なんで元気なふりをするの?」という言葉を投げかけられたのは夏だからこそです。
弥生はその間もずっと夏を制止し、「周りの人が親切だから」とか、母親の不在をごまかそうとします。
それは彼女自身が母親という存在を直視できずにいる裏返しの反応です。

弥生も朱音も「母親の代わりになる」という軸でとらえているので衝突が起こるんですよね。
どこかのタイミングで、彼女はその呪縛から解き放たれるのでしょう。

「父親になる」

このドラマを見始めたときに映画「そして父になる」を連想しました。
そういう人は多いと思います。
しかし、今回語られたのは、そういう父という役割にこだわらない家族観でした。

ひとつの父親像を思い浮かべてそれになろうとするから摩擦が生じるってことなのかも。
多様な価値観を認めるということは、自分を縛る価値観から解放することにもつながるのかもしれません。
海は、夏が彼の思い描く父親像に変わることを望んでいるわけではないんですよね。
言われてみれば当たり前のことですけど、「ありのまま」や「多様性」というありきたりな言葉ではなく、子供らしい素朴さの中で語られるのが面白かったです。

異なる家族観

このドラマに登場する人物の持つ家族観はかなり異なります。
朱音には父親としての覚悟を問うような姿勢が散見されますし、夏も一時はそのような親としての振る舞いを心掛けていたようです。
朱音は親子の血のつながりを重要視していますが、その対極に弥生がいます。
夏自身父親と血のつながりがありません。
そういったなかで、「父になる」「家族になる」という「一つのあるべき姿」に向かう過程を描くのではないという点に過去作との違いを感じました。

そこで面白いのが、それを海の視点から描いているところです。
彼女は子供なのでボキャブラリーが乏しいです。
生物学的な意味とか社会学的な意味合いなど知るはずもないですが、「そばにいる」「いなくならない」という素朴な家族のつながりを語っているんですよね。

子供の考えなので境界がはっきりしませんが、このあいまいな感じがこのドラマの結論になるのかもしれません。

現像するまで時間のかかるフィルムのカメラがゆっくりと醸成されていく人と人のつながりを象徴していました。

おわりに

書いているうちによくわかんなくなってしまいました。
考えが整理されていないところや重複する箇所もあると思いますが、個人的には父と子の物語ではないということがはっきりしたことで、腑に落ちた感じがしています。